歩き遍路3巡目 通算11日目 日野谷支所前バス停~阿波福井駅

2015年5月4日(月)

朝一番のバスで、昨日の日野谷支所のバス停まで戻るため、6時過ぎにホテルを出発。新しい道と黒滝寺への登りで疲れたせいか、夜中一回も目を覚まさず熟睡できた。日野谷支所につくと、小雨が降っていたので、レインウェアを着たが、暑い。

 

相生のあたりで、「プッ」とクラクションの音がした。振り返ると、前日、黒滝寺の下り道で出会ったヤマトのドライバーさんだった。黒滝寺へ歩いていくお遍路は少ない、すぐに「昨日の遍路」だとわかったようだった。手を振って、笑顔で別れた。

 

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相生には、萬福寺がある。本堂などが、2005年に国の登録有形文化財に指定されており、ぜひ立ち寄りたいと思っていた。町の人に、場所を聞くと、すぐに丁寧な答えがかえってきた。地元の大切なお寺なようだ。

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高野山真言宗の寺院。ご本尊は薬師如来。思えば、私はお遍路では、本当に「薬師如来」とご縁がある。

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手の入った、本当に気持ちのいいお寺で、長居したかったが、ちょうど法事をされており、白衣を着た遍路が寺内をチョロチョロいつまでもしていても、申し訳ないような気持ちに勝手になって、短いお参りとなった。

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途中、またもや寄り道して、真言宗大聖寺というお寺へお参り。そうこうしているうちに、いよいよ暑くなり、また休憩する場所もないので、フラフラとしてきた。

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仕方がないので、車がビュンビュンと走るわじきのバス停で立ったまま休憩。その後、ローソンを見つけて、ようやく腹ごしらえができた。そこから、さらに車道沿いにすすむと、ようやく昨年降りたバス停・大下に到着。そこから、さらに阿比瀬にすすみ、大根峠へ向かう。

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大根峠は、何回登っても「意外とキツい」と思ってしまう。

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山を下ると、見覚えのない遍路小屋ができていた。多分2巡目の時はなかった気がした。

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山を下ってから、毎回「寺まで意外と距離がある」と思ってしまうが、今回も同じ感想だった。でも、寺までの道は、穏やかなとても美しいところだと思う。

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平等寺は、びっくりするほど人が多くごった返していたが、こちらの納経所の方は、いつも感じがいいなぁと思う。

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本来なら、1巡目、2巡目でお世話になった平等寺隣の山茶花に泊まりたかったが、予約するのが遅すぎて、部屋が空いていなかった。新館にも泊まってみたかったし、何より素朴でいて、とても親切な女将に久しぶりに会いたかったが、仕方がない。阿南のビジネスホテルしか予約できなかったので、ここからさらに阿波福井駅まで歩く。

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途中、月夜御水庵でお参り。年々、お堂の痛みがひどくなっているような気がする。

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阿波福井駅には、5時過ぎに到着。阿南方面の列車は行ったばかりだった。結局、6時27分まで待つことに。体力が年々落ちて行っているのを感じる1日だった。

 

6:00 ホテル出発

6:26発 県庁前バス停~7:56着 川口 乗り換え

8:15発川口営業所~バス~8:20着日野谷支所前バス停

10:00萬福寺着~10:10発~10:37大聖寺

14:00頃阿比瀬着

14:58平等寺

15:37平等寺発~16:18月夜御水庵着~17:03着阿波福井駅

18:27阿波福井駅~18:47阿南駅

 

徳島駅~川口営業所 バス往復 1450円

川口営業所~日野谷支所前 バス 160円

阿波福井駅阿南駅 JR290円

阿南プラザイン 5500円(素泊まり) 洗濯100円 乾燥100円

31km

 

 

 

 

歩き遍路3巡目 通算10日目 日野谷支所前バス停~黒滝寺~役場前バス停

2015年5月3日(日)

 3巡目で奥之院もお参りしようと決めてから、いろいろ調べたが、中でも、二十一番奥之院 黒滝寺と、六十六番奥之院 長福寺は、大変そうだと思った。八十八か所、別格二十か所から大きく離れており、当時、歩き遍路のお参りの情報がほぼなかったからだ。

黒滝寺にお参りするには、ルートとしては、大きく、①別格3番慈眼寺から、月ケ谷温泉方面へ向かい、県道16号を歩く②21番太龍寺をお参りした後、那賀町方面へ県道195号線を歩く、がある。

①は宿が限られている(今は、黒滝寺近くにゲストハウスができているらしい)のと、google map ストリートビューで見る限り、県道16号線は後半が延々と景色の変化が少なそうな道で、県道195号線は国の登録有形文化財の本堂などがある萬福寺や農村舞台があったので楽しそうだった。結局、②のルートを歩くことにした

②のルートを歩くとして、予定としては、以下のように考えていた。

1.前回の最終地点:大下バス停~役場前バス停36km  

  バス10分で四季美谷温泉泊 

2.四季美谷温泉からバス 役場前バス停~黒滝寺~もみじ川温泉泊 33km

3.もみじ川温泉~平等寺 22km

G.Wにお参りするのだから、早めに予約しようと、3月にもみじ川温泉のHPを見ると、改装中の案内が出ていた。G.W前には、改装が終わるとなっていたが、予約はできなかった。その後、仕事のせいでいけない可能性もでてきたので、他の宿も予約しなかった。

ところが、4月下旬になって、仕事の都合もつき、行けることになった。慌てて、四季美谷温泉にTELしたが、団体でいっぱい、もみじ川温泉はまだ改装が終わってなかった。195号線沿いのほかの宿も、わじきの宿も、同窓会などでいっぱいで、とれなかった。

今回は歩き遍路自体をあきらめる、もしくは黒滝寺は次回にまわすなども考えたが、結局、片道分だけ歩くこととし、あとはバスを利用することとした。ただ、黒滝寺へは、徳島バスに乗り、途中で、徳島南部バス、那賀町営バスに乗り換えなければならない。バスの時刻が限られているので、それにあわせて、きわめて変則的な歩きになった。

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徳島駅から、6:20発徳島バス丹生谷線川口行に乗る。本来なら、前回の終了地点である大下バス停で降りる予定だったが、バスの乗換の都合のよい時刻などを考えて、徳島バス終点の川口営業所まで行き、徳島南部バスに乗り換えて、日野谷支所前まで行くことにした。

f:id:akirazi:20190222224755j:plain川口営業所には、8時前に着いた。目の前には、すでに廃業して長いとみられる日本酒の蔵があり、後ろには那賀川が流れている。なかなかいい場所だった。ところが、乗り換えの8時10分発のバスが、予定になっても運転手が来ない。時間を勘違いしただろうかと慌てたが、15分ごろ、ゆっくりと姿を現し、一安心。

運転手と、「お遍路を乗せることは滅多にない」などと雑談をしているうちに、あっという間に日野谷支所前バス停につく。いよいよ、黒滝寺まで、歩きだした。

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黒滝寺までの道は、黒滝寺麓までずっと川沿いを歩くこととなる。とても美しく、まったく飽きなかった。地元の方に話しかけられたときに、「とてもきれいな川ですね」というと、「上流はこんなものじゃないよ。もっともっときれいだよ」と笑われてしまった。次は、ゆっくり観光で来るのもいいかもしれない。

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途中、水崎新四国八十八箇所霊場の案内看板を見かけた。町道沿いに、八十八体の石仏があり、昔、地元の人が「病弱な人でも手軽に八十八ヶ所を巡拝できるように」と、 八十八ヶ寺から砂を持ち帰り、各寺院の本尊を刻んだ石仏を立てたそうだ。お参りしてみたかったが、黒滝寺への登りが待っており、時間がよめないので、断念した。

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長安口ダムのビーバー館で休憩をとる。行くまでは、道の駅みたいになっているのかと勝手に思っていたが、売店などはなく、ダムの資料館だった。トイレ休憩と一休みにはちょうどいい。

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出合で那賀川に別れを告げ、今度は坂州木頭川沿いを歩く。坂州木頭川も美しい。途中、拝宮への看板が出ていた。拝宮にも農村舞台のある神社がある。ぜひ行ってみたかったが、往復6km以上あるため、今回は坂州の農村舞台に行くこととし、またもや、泣く泣く断念した。

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ちょうど道の曲がり角に立派な神社があった。目の前のバス停には、十二社前となっていたが、鳥居には宇奈為神社とあった。

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ずっと川沿いの道なので、橋も多い。それらの橋を熱心に撮影してまわっている人もいた。

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バスを降りた日野谷支所前から、約3時間半、ようやく黒滝寺の麓口に到着した。

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近くのヤマザキショップ 木沢物産センターが、祝日のため、店自体は閉まっていたが、一部がバス待合所になっていて、そこで昼休憩をとった。店もトイレも建て直したばかりらしく、特にトイレは花が飾られ、使用するのもためらうぐらいピカピカしていた。腹ごしらえもし、いよいよ黒滝寺へと向かう。

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あらかじめ、ある程度調べていたので、覚悟はしていたが、本当に延々と登りがつづく。そんなに急勾配ではないのが救いだ。

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趣のある橋を通り過ぎて、しばらくすると集落があったが人影が全くない。しばらくすと、タクシーが降りてきた。乗車者を見ると、白衣を着ていた。今回、歩いている人は一人も会わなかったが、そのあとも2度ほど、白衣を着たお遍路さんを乗せたタクシーとすれ違った。奥之院参りや新四国まんだら霊場参りをしている人は、私が思うより、多いのだろう。

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麓から登り始めて小一時間ほどで、風車にたどりついた。旧木沢村が一望できる。

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ここから10分ほど歩くと、道が二手にわかれている。木の看板で、黒滝寺は右を指していたが、左にすすめば、加持久保八幡神社がある。お参りしていくことにした。このときは、たんに神社があると思ってお参りしたが、黒滝寺について、その縁起の説明を読むと、この神社も空海伝説の一部をなしていることがわかった。

(黒滝山保勝会・黒滝寺縁起より一部抜粋)「弘法大師が、太龍寺で修行中、突然神龍が現れ「那賀川の上流、黒滝山に大きな竜がすみ、世の人患(わずら)い多し」と告げ、かき消す如く去りました。大師は大竜を退治し、世の人々を救おうと那賀川を登ってこられました。竜王山を間近に望むところで日が暮れ、一夜を木の下の座し、虚空蔵菩薩一体を彫り上げ、草堂を建て安置した。大師はこの地一帯を祈祷名(きとうみょう)と名付けたが、後になり木頭名(きとうみょう)と呼ばれるようになった。大師はさらに進み、大竜降伏、悪魔退散の加持を自ら行い、竜王山に登った。この地は加持久保(かじくぼ)と称し、現在神社として祀られている。」

この最後に出てくる加持を行った地が加持久保八幡神社である。ここから左にさらにすすむと、細い道が黒滝寺へと続いている。

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麓から1時間半ほどで、ついに黒滝寺に到着した。立派な寺だ。なんとなく、太龍寺に似ている気がした。

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ゆっくりする予定だったが、お寺についたころから雨がひどくなりだした。やむを得ず、納経していただくと、下ることにした。麓に帰る道は、行きと同じ道である。途中、黒滝寺縁起に出てくる虚空蔵菩薩堂も通るので、お参りした。黒滝寺の往復路で会ったのは、タクシー3台とヤマトの車1台のみだった。麓に戻ってくると、雨が少し小降りになった。少し休んで、昼食をとったヤマザキと川を挟んで反対側にある坂州八幡神社に向かう。

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そこには、江戸時代に建築された舞台として、1998年に国の重要有形民俗文化財に指定された農村舞台がある。

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江戸時代の建築手法はもちろんのこと、人形芝居を今に伝える建築物だ。

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徳島県には、全国で最も多くの人形浄瑠璃の団体が活躍し、また、人形芝居用の農村舞台が全国一多く残っているそうだ。私が、今回行くのを断念した拝宮農村舞台もその一つ。年に1回あるという公演をいつかぜひ見てみたい

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また、川向うのヤマザキに戻り、バス停でバスを待つ。次第に日が暮れて、暗くなってきた。人影は相変わらず全くない。ポツンと心細げに立っていたせいだろうか、1台の車が止まった。「なんか困ってるんじゃないかぁ」と声をかけていただく。バスを待っているとこたえると、「そうか、そうか。もうすぐ来るはずだからな~」と去っていった。

この日、実はいろいろな方から、車のお接待のお申し出をいただき、またお菓子のお接待をいただき、そして気持ちのいい挨拶と労りのお接待をいただいた。来ようかどうしようか迷った黒滝寺だったが、とても気持ちがいいお参りになった。

暗闇の中にバスがきて、「お遍路を乗せることはめったにない」という言葉をまたもや聞きながら、今夜の宿のある徳島方面へとむかった。途中2回バスを乗り換え、宿についたのは、20時半ごろだった。

 

6:20 徳島駅~バス移動~7:55川口営業所

8:15 川口営業所~バス~8:20 日野谷支所前バス停

8:20 日野谷支所前バス停~10:30 ビーバー館

10:42 ビーバー館~11:57 宇奈為神社

11:57 宇奈為神社~12:00 ヤマザキショップ 木沢物産センター

12:38 黒滝寺麓の門~14:05 黒滝寺

14:38 黒滝寺~16:05 ヤマザキショップ 木沢物産センター(役場前バス停)

16:10 役場前バス停~16:25 坂州八幡神社農村舞台

16:40 坂州八幡神社農村舞台~17:00役場前バス停

17:30頃 役場前バス停~バス~春森上~バス乗換~川口営業所~バス乗換~20:15頃 県庁前バス停~ 20:30頃 タウンホテル千代

徳島駅~川口営業所 バス往復 1450円×2

川口営業所~日野谷支所前 バス 160円

役場前~春森上 バス280円

春森上~川口営業所 バス690円

タウンホテル千代 4,050円(素泊まり) 洗濯・乾燥 400円

34km

 

 

歩き遍路3巡目 通算9日目 ふれあいの里さかもと~バス停大下

2014年5月5日(月)

 

 今回の区切り打ち最終日。次回の黒滝寺に向けて、少しでも195号線を那賀町方面にすすむために、朝食は食べずに、朝早く、「さかもと」を出発し、前回と同じく、今回も、棚野から登ることとした。棚野からの遍路道はほぼ完全な山道で、生名からの道より距離は短いが急な傾斜の道が続く。個人的には、楽なのは、生名からの道だと思う。

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小一時間ほどで、鶴林寺へ到着。昨日お参りした星の岩屋の納経もいただく。納経所の方と話す限り、あまり星の岩屋まで行く人はいないようだった。

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鶴林寺を出発し、太龍寺へ向かう。大井までの下り道は、本当に長いので、1巡目のときは永遠に感じた。おまけに、反対方向から自転車をかついで登ってくる自転車遍路がいて、衝撃を受けた。その印象が強いせいか、個人的には、歩き遍路より自転車遍路のほうが大変そうだと今でも思っている。 

大井からは、当時整備されたばかりだった一宿寺からのかも道を歩くことも考えたが、ネット上で歩いた人の記録があまりなかったことと、大幅に遠回りになると思って、2巡目までと同じ道を歩いた。

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鶴林寺から2時間ほどで、太龍寺へ到着した。今回は、必ず北の舎心嶽に行くと決めていた。山門のところに案内があるにもかかわらず、1巡目も2巡目も完全に見落としていた。

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南の舎心嶽にも向かう。以前は、弘法大師像の前へといけるようになっていたが、

今回(2014年当時)はロープが張られて、いけないようになっていた。

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 さて、ここから那賀方面へ向かって県道195号線を進むなら、2019年の今なら中道やいわや遍路道が圧倒的に近いのだが、2014年当時はいわや遍路道はまだ整備が終了しておらず、中道も危険として、推奨されていなかった。南の舎心嶽近くの中道・いわや遍路道方面への遍路道には、「危険なため、引き返せ」という看板が立っていた。

実際、1巡目のときに、たびたび途中で会っていた、若い歩き遍路2人が中道方面にすすんで道に迷い、けがをして、足をひきずりながら太龍寺へ戻ってきたところに遭遇した。

いろいろ考えて、結局これまでと同じく、旧坂口荘前を通る四国のみちルートを歩くことにした。2巡目までは、坂口屋も龍山荘も営業し、3巡目もまだ坂口屋が営業していたので、当時は、歩き遍路の9割がこの四国のみちルートを歩いていたと思う。

だが、今は、坂口屋の廃業もあって、いわや遍路道を歩く人が多いと聞いた。鯖大師の住職が納経所で、歩き遍路の道は3年で変わることがあると言っていたが、ここのルートはまさにそんな感じだ。

阿瀬比に出て、那賀町方面へ向かう。次回のことを考えて、もっとすすんでおくべきだったが、雨が強くなりだして、怠け心がでた。結局、大下というバス停までで、打ち切った。

 

※時間は、写真データからなので、おおよそ。

5:30頃 ふれあいの里さかもと~6:33 第20番札所鶴林寺登り口

6:33 第20番札所鶴林寺登り口~7:27 第20番札所鶴林寺

8:10 第20番札所鶴林寺~10:15 第21番札所太龍寺

不明第21番札所太龍寺~南の舎心嶽~14:00頃大下バス停(町人貴族)

24km

 

歩き遍路3巡目 通算8日目 ふれあいの里さかもと~ふれあいの里さかもと

2014年5月4日(日)

 前日は、予定していた星の岩屋も中津峰山如意輪寺も行けなかった。おまけに、今日は、別格三番札所慈眼寺だけでなく、灌頂ヶ滝にも行く予定である。1日ですべて回るには、どうすればいいのか、さかもとのスタッフの方にも、相談にのってもらったが、結局、朝早く、宿を出発するしかないという結論になった。今日もさかもとでお世話になる。素泊まりならよいが、夕食もお願いしているので、5時までには帰ってこなければならない。何かとあわただしい一日となった。

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潅頂の瀧

朝5時過ぎに宿を出て、ひたすら滝と慈眼寺の分岐点を目指す。朝焼けがとてもきれいだ。お寺と滝、どちらに先に行くか迷ったが、滝に先に行くことにした。だが、分岐点から、びっくりするぐらい下る。思ったより小さな滝で見逃したのだろうかと心配になったが、さすがに見落とすほど小さくなかった。この滝は、四國遍禮道指南にも出てくる。当時の人々もこの滝を見上げたんだろうかと思うと、頑張って、下ってきた甲斐があった。

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慈眼寺・藤棚

滝からは寺までは、ずっと車道をもどらなければならないが、考えるとうんざりした。と、滝から15分ほど車道を戻った左手に、「いやしの道 慈眼寺参道」という木の看板があった。看板が少々くたびれているのが気になったが、思い切って看板の矢印がさす山道に踏み込んだ。

最初は道がはっきりしていたが、途中からよくわからなくなった。上のほうに、車道のガードレールが見えたので、いざとなれば、あそこまでよじ登ろうと言い聞かせ、何とか道なき道をすすむ。途中、倒木などもあったが、何とか進み、赤い橋が見えたときは正しい参道らしいとわかり、ほっとした。その橋をわたり、山道からでると、慈眼寺の駐車場横の道路に出た。滝からは40分ほどで到着。車道ルートとどちらが早いのかよくわからなかったが、何はともあれ、到着してよかった。

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慈眼寺

前回、お参りしたときは、季節外でできなかった穴禅定を、今回は楽しみにしていた。複数人で行けば、その分、料金も下がるが、7時過ぎでまだほかに参拝者も来そうにない。おまけに今日は、残念ながらハードスケジュールになってしまったので、待たずに、一人でお願いした。

 

案内人の方に言われるままに手足を動かす。案内人のおばちゃんの動きは、忍びのようで、ついていくのに必死だったが、とても不思議で神秘的な体験だった。慈眼寺に行かれるなら、絶対、穴禅定はおすすめ。※ただ、団体さんとかちあうと、びっくりするぐらい時間がかかることもあるそう。私は、1人だったが、穴に入って出てくるまで、25分ほどかかった。

 

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 穴禅定に満足しつつ、8時半ごろ、さかもと方面へ戻る。宿を横目にしつつ、星の岩屋入口まで、ただただ歩く。11時45分ごろ、星の岩屋に到着する。 とても静謐な空間。以前は常駐のお寺の方もいたそうだが、今はいらっしゃらないようだった。納経も、鶴林寺でいただく。

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お昼を食べようかと思ったが、先に歩き遍路のご夫婦が休まれていたので、お参りすると、仏陀石へ向かった。中津峰山との分岐点があるはずだが、なかなかたどりつかない。時間もないので、あせる、あせる。

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何とか、仏陀石に到着。こちらも、不思議な空気が漂う場所。しばらく過ごしたあと、ちかくのお堂の軒下でお昼を食べる。中津峰山頂までは行けそうだが、如意輪寺はどうだろうかと悩みつつ、とりあえず山頂まで行くことにした。

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山頂への道では、途中、仏石の穴をくぐる。

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14:00に山頂に到着。星の岩屋から歩く人はだれ一人遭わなかったが、山頂はとてもにぎやかだった。如意輪寺方面から散歩がてら来たという方に、下り30分、登り45分と聞いて、ここまで来たらと決意して、如意輪寺へ向かう。びっくりするぐらい下る。またここをのぼらなくてはいけないのかと思うと、ぞっとしたが、とにかく駆け下った。

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お寺は、ちょうどご本尊開帳と受戒の日だった。ご本尊が見られたのはとてもうれしかったが、何せまたあの山道を戻らなくてはいけない。ひたる暇もなく、道を駆け上った。もう二度と、こんな無理やりなスケジュールは組むまいと思いつつ、15:30に山頂へ到着。今度は、星の岩屋へ向かって、下る。何とか、16:30頃に星の岩屋へ戻れた。すると、ちょうど「さかもと」の方がお電話を下さり、道の駅まで、迎えに来てくださることとなった。

なんとも慌ただしい1日だったが、どこも行ってよかったと思うところばかりだった。4巡目があれば、2日ほどかけて、ゆっくりまわりたい。

 

5:10 ふれあいの里さかもと~6:15 灌頂ヶ

6:20~7:00 別格三番札所慈眼寺

8:35 別格三番札所慈眼寺~9:30 ふれあいの里さかもと

9:30 ふれあいの里さかもと~11:00 星の岩屋入口

11:00 星の岩屋入口~11:45 星の岩屋

12:00 星の岩屋~12:25 仏陀

12:40 仏陀石~14:00 中津峰山頂

14:05 中津峰山頂~14:30 如意輪寺

14:50 如意輪寺~15:30 中津峰山頂

15:30 中津峰山頂~16:25 星の岩屋~17:05 道の駅

ふれあいの里さかもと 宿泊6,000円(夕食)

穴禅定 3,000円

32km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き遍路3巡目 通算7日目 立江駅~ふれあいの里さかもと

2014年5月3日(土)

 1年ぶりに立江駅へ戻ってきた。再開初日は、19番札所奥の院・取星寺→星の岩屋→中津峰山如意輪寺→さかもとの里の予定で、なかなかハードな予定だった。ところが、前日に、四国入りしていたにもかかわらず、なぜか朝の出発をゆっくりにしてしまった。 

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1年ぶりに立江寺にお参りする。門のところで、G.Wならではのお接待があり、それを取材している新聞社がいた。いきなり写真を撮られ、いろいろとお遍路について聞かれたが、写真の掲載はやめてほしいとお願いすると、すんなり聞いてもらえた。

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立江寺近くの和菓子屋で、取星寺への道を尋ねると、ご店主が丁寧に教えてくださった。

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教えていただいた通り、取星寺へと向かい、阿千田越え入口で、遍路道を整備されている穴井さんとお会いした。

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取星寺まで案内してくださるというので、お言葉に甘えて案内していただく。道すがら、遍路道を整備するご苦労などをおうかがいする。大変なことも多いはずだが、どこか楽しそうなご様子が印象的だった。

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取星寺までのルートは早道ルート、回り道ルート、さらに大回りルートとあるようだった。私は、2番目の昔日の土佐街道ルートでお願いした。

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 取星寺は、なかなかカオスな感じであった。思っていた以上に、広いが、まったく人影はない。納経は、すでに紙に書かれたものが置いてあった。

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取星寺を出るころには、もう今日は、星の岩屋から中津峰山如意輪寺へ行くのは無理だろうとあきらめはじめた。もっと、朝早く出るべきだったと思ったが、そうしたら、穴井さんとはお会いできなかったかもしれない。

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川沿いを歩き、立江寺からまっすぐの遍路道と合流した。途中、沼江大師に立ち寄り、ご住職に話しかけられたので、少しお話させていただく。あとは、昼休憩をとるために、道の駅を目指した。

道の駅では、歩き遍路を体験取材しているという新聞記者の方にお会いした。よくよく、新聞記者とご縁がある日だ。その方は、プライベートでも歩いて、もう半分ほどは歩いたということだった。家に帰ってから、すでに出ている新聞記事をネットで読んだが、土地の歴史や文化もおりこまれていて、おもしろかった。

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その後は、てくてくと歩き続け、ふれあいの里さかもとに到着。私以外は、小学生のサッカークラブの団体が泊まっていて、なかなかにぎやかだった。

7:06高松駅~8:50頃立江駅 JR乗車

9:25頃十九番札所~阿千田越え~10:51十九番札所奥の院取星寺

11:10十九番札所奥の院取星寺~13:00道の駅

13:15道の駅~15:15ふれあいの里さかもと

※時間は、写真データからなので、おおよそ。

 

ふれあいの里さかもと(夕食のみ) 料金 6,000円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩き遍路3巡目 通算6日目 鱗楼~立江駅

 2013年5月5日(日)

今日は、今回の区切りうちの最終日。帰りのJRの時間もあることだし、昨日のようなことにならないためにも、7時に17番札所に着くよう、朝食を食べずに、宿を早めにでた。だが、宿を出て、すぐに足が痛くて、歩けない。近くの大御和神社で、足の豆を確認。悪化している。何とか応急処置をして、コンビニで朝食を買った。店員さんが、店内で食べていいと声をかけてくれたが、とりあえず17番札所へ向かった。 

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17番札所井戸寺でお参り後、隣の八幡神社で朝食を食べることにした。神社でお詣りし、隅っこでおにぎりを食べ始めたのだが、気づけば、全身黒い服を着た人がいて、四股を踏んだり、何やら不思議な踊り?舞い?をささげていた。今にして思えば、神社の宮司さんの朝のお勤め?のような儀式だったのかもしれないが、その時は、ただ茫然とおにぎりをかじりながら、その光景を見守るしかなかった。何ともシュールな時間が続いたが、おにぎりを食べ終わると、そそくさと境内を出た。

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18番札所へは、地蔵越えルートで向かうが、まだ一度もお参りしていない番外霊場・法谷寺(ほうこくじ)にお参りしてから、少し戻って地蔵越えをすることとした。番外霊場は、基本、ほとんど遍路札を見かけない。このときも、地蔵院との分かれ道から、一切、遍路札を見なくなり、道にさんざん迷った。地元の方に「法谷寺(ほうこくじ)はどこですか」といっても、怪訝そうな顔される。あまり有名な寺ではないのだろかと考えていると、「ああ、ほっけじね」と言われた。地元の方は、ほっけじと呼んでいるらしい。何とか、道を教えていただいて、たどりついた。

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大変大きなお寺である。が、人っ子一人いなかった。法谷寺から、そのまま、まっすぐ18番札所へすすむルートがあるが、今回は、戻って地蔵越えをする。3,40分ほど歩くと、番外霊場・地蔵院に到着。地蔵院も落ち着いた大きなお寺である。こちらでお参りした後、いよいよ地蔵越え。

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 カッポンカッポンと地元の方がつくったであろうししおどしの音が響く中を、のぼっていく。初めて、この道を通った時は、この音が少しこわかった。

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地蔵越えの下りの道は、やや荒れていて、歩きづらくなっていた。下りおえ、しばらく歩くと55号線に合流した。私は、正直、この55号線の道はあまり好きじゃない。帰ってきて、他のお遍路さんのブログを見ていたら、55号線にほとんど合流せずにすむルートがあるようだ。4巡目は、そのルートにしたい。

今回は、18番札所奥之院・金磯弁財天に向かうため、途中から55号線を左に大きくそれた。奥之院の場合は、遍路札はないのが当たり前なので、今回も、地元の方に尋ねつつ、歩く。5月と思えないほど暑い。田んぼの中を通り、街を抜け、海沿いの道へ出た。

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金磯弁財天は、海のすぐそばにあった。伝承によれば、弘法大師恩山寺で修業していた際に、開基したとされている。

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私の下手な写真ではわかりづらいが、本堂の欄間のような部分の絵柄、左は、亀に浦島太郎のような人物がのっている。右には、まるで竜宮城のような建物がある。大変凝った装飾だ。たっぷりと満喫したあと、18番札所・恩山寺へ向かった。ちなみに、金磯弁財天自体には、人は全くいなかったが、そこへ行くまでの海沿いの道は整備されていて、地元のお散歩コースのようになっているようだった。

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18番札所は、到着直前の車道横に少し古びた山門があるのだが、いつも気づかず、見落としていた。今回は、見落とさずに山門をくぐることができた。

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18番札所で、18番奥之院・金磯弁財天の納経もしていただき、19番札所へ向かう。牛小屋横の遍路道は、道が崩れたため、通行止めとなっていた。今回は、19番札所のあと、19番奥之院・取星寺までお参りする予定だったが、法谷寺と金磯弁財天でかなり時間をとってしまったので、もう一つの19番奥之院・清水寺までとすることとした。

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19番札所は、いつ来ても、人が多い印象がある。この日も、にぎわっていた。何となく、疲れてしまい、ベンチに座り込んでいると、足の豆も痛いし、清水寺も次回でいいかという気持ちになってきた。次回になると、これが失敗だったとわかるのだが、結局今回はここで打ち切り、立江駅へ向かった。

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6:00  鱗楼~6:54 17番札所

7:30  17番札所~9:00 番外霊場・法谷寺

9:20   法谷寺~10:00 地蔵寺

10:15 地蔵寺~13:35   18番札所奥之院・金磯弁財天

13:50  金磯弁財天~14:25 18番札所

14:40  18番札所~15:32  19番札所

15:59 19番札所~16:10立江駅 帰路

※時間は、写真データからなので、おおよそ。

26km

歩き遍路3巡目 通算5日目 桜屋旅館~鱗楼

2013年5月4日(土)

 今日も、朝早く出発するため、旅館の朝食は食べずに、前日に近所のコンビニで買っていたパンなどを食べて、出発。朝5時半なのに、旅館の女将が見送ってくれた。

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 昨日通過した鍋岩の、玉が峠入口まで、小一時間かけて戻った。うっそうとした山道をのぼる。

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 朝一番なので、そこまで苦にならずに、峠を越えられたが、焼山寺をお参りした後、奥之院へ往復し、更にここを越えて、植村旅館まで行くのは、なかなか厳しそうである。おまけに、今回行けなかった神山の上一宮大粟神社や雨乞いの滝へも行きたいので、4巡目があっても、やはり桜屋旅館にお世話になることになりそうだ。

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 静謐な空間。とても気持ちがよかった。トイレもある。だが、静かすぎて、ここで野宿するのは怖い気がする。

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玉が峠を越えると、えんえんと下りが続く。道すがら、素敵な遍路小屋があった。ここからの眺めがよかったような気がするが、まさかの写真を撮っていなかった。遍路小屋の写真を撮るのに夢中だったのか、御接待のはっさくに夢中だったのか。

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なつかし、新聞入れ。もちろん、現役。

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 途中、遍路道を少しそれて下ったところにある、番外霊場の鏡大師に立ち寄った。

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 植村旅館付近にあった案山子。ちゃんと、進む方向を指差してくれている。

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案山子の応援はつづく。

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思いがけないところで、ハイクオリティ。

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 思いがけないところで、峠道。少しの峠なのだが、まったく覚悟していなかったので、意外ときつかった。

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 峠を越えると、人一人通るのがやっとの細い橋を渡り、県道20号線に合流。あとから気づいたが、植村旅館前で案山子の指差す方向を無視して、そのまますすんでいれば、おそらくずっと20号線を通り、峠越えをしなくてもよかった気がした。が、案山子を無視するのも、なんだかつらいので、結果よしとしとこう。

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 別格札所2番童学寺へ向けて歩いていたが、足に豆が出来始めているのに、気づいた。1巡目、2巡目は同じ靴を履いて歩きとおしたが、ほぼ豆ができず、とても助かった。今回、さすがに、3巡するのは無理だろうと靴を買い替えたのだが、残念なことに横幅が微妙に小さかったようだ。休憩するところも見つからないので、童学寺まで、何もせずに歩くことにした。

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童学寺は、遍路地図だと、新童学寺トンネルを抜けたあと、すぐ左に入る近道があるようなのだが、前回は見つけられなかった。今回も、遍路札は見つからず、自力で道を見つけようと、寺に通じていそうなところを必死にウロチョロする。何せ、豆が痛いので、一回下って、またのぼるなどと悠長なことはしていられないのである。必死の捜索のおかげか、何とかそれらしき道をみつけて、童学寺近くに出ることができた。ただ、遍路札も見当たらず、あれが正解の遍路道だったのか、いまだにわからない。

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お寺の建物は、中国の影響を受けていて当然なのだが、四国でお参りした寺の中で、童学寺のこの山門ほど、中国を感じさせるものはない、と思う。

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お参りをすませたあと、豆の処理をするため、人目がないところを探し、さまよう。境内の庭は、まさに春爛漫。藤棚を手入れしている職人さんが、寺だろうが何だろうがお構いなしに、大音量でラジオをかけていた。ユーミンの歌声が響き渡る中、ベンチにすわって、豆の処理をした。

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童学寺から、13番奥之院建治寺へ向かうためには、先ほどと同じ近道の遍路道を通り、新童学寺トンネルを通って、行者橋まで戻る。橋を渡って、山の方へ向かうと、おそらく建治寺の遍路道につながる車道へ出たが、ちょっと不安になっていたところ、ちょうど車がとまったので、建治寺に通じているか、尋ねてみた。「あってるけど、しんどいよ・・・。歩くの?」と、絶対におすすめしないという表情で言ってくる。仕方ないのである。寄り道し放題、怠け放題な私の、歩き遍路における唯一の信条は、「歩く」なのである。「・・・歩きます」と答えて、お礼を言って別れた。

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覚悟を決めて、えんえんと続くアスファルトの上り坂を登っていく。とにかくエンエンと続く。やっと、山道に入る遍路道にたどりついた。が、そこからも遍路札が少ないけものみちのような道が続いていた。

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麓から小一時間ほどで建治寺の広い駐車場に出た。

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立派な寺である。だが、こんなにも立派な寺なのに、人気がほとんどなく、納経所にもどなたもいらしゃっらなかった。

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本堂にお参りし、大師堂へ行くと、行場の一つである龍門窟への歩道があった。洞窟は一人の修験者により三年をかけて掘られたそう。かなり天井が低いので、中腰になってすすむ。最奥部には彩色された不動明王像が安置されている。何となく、写真をとってよいものか、迷い、結局写真をとらなかった。予定より、建治寺での滞在時間が長くなってしまったが、龍門窟は訪れてよかった。納経所は相変わらず人の気配がなかったので、納経はあきらめて、13番札所へ向かう。

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そもそも、建治寺には、ほかにも、有名な行場がある。今回、玉が峠を越えて、童学寺と建治寺にお参りするのに、どちらに先に行くか、迷った。通常は、建治寺→童学寺→13番札所のようだが、その行場があるのは、建治寺→13番札所への遍路道である。結局、童学寺→建治寺→13番札所のルートにした。建治寺を出て、13番札所へ向かう遍路道をすすむと、しばらくして、道が二つに分かれていた。一方は、行場を通るコース、一方は安全なコースである。不安になったが、とりあえず行場コースへ。

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こんな感じの鎖場が待っていた。鎖を両手でしっかりつかんで、下りさえすればよいのだが、そうなると金剛杖が、何とも・・・なのである。1巡目からずっと同行してくれた大事な杖である。折れたりしたらなぁと思うが、元の安全なコースの分かれ道まで戻るのもいやだった。最終的に、静かに、杖を下へ向けておとすという荒業に出た。

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降りた後、下から見上げると、こんな感じ。行場は、梯子の行場もあったが、とてもおそろしく、のぼらず、横を通過するだけにした。他にも滝の行場など、色々あったが、雨が降り出したせいで、ゆっくり見ることができなかった。f:id:akirazi:20170704200837j:plain

おなかが減ってきたが、雨のせいで、座って休憩することもできず、13番札所に到着。ちょうど、混雑しているようだったので、目の前の一宮神社を先にお参りする。こちらは、神仏習合の時代には13番札所大日寺と一体化していた。神仏分離によって、寺と神社に分かれたあと、少なくとも四国は、寺の方が断然栄えている。目の前の13番札所は混雑しているのに、一宮神社は私一人の貸切状態である。おかげで、静かにお参りできた。毎回お参りするものの、ご朱印はいただいていなかった。今回は、社務所宮司さんがいらっしゃったので、書いていただいた。

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 13番札所をお参りすると、予定より随分遅れていることに気がついた。今日は、16番のすぐそばの宿をとっている。明日の事を考えると、できれば、16番までお参りしておきたい。足の豆の痛さなど、無視して、急ぎ足になる。「おかしい・・・三巡目はゆっくり歩こうがモットーだったはずなのに」と思うが、仕方ないのである。

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14番札所は、何度見ても、その独特の庭が印象的。お参りをすませ、納経所が混雑していたため、一旦、14番札所奥之院・慈眼寺へ。15番札所へ向かう道すがら、少し左にそれたところにあるが、こちらまでお参りに来る人は皆無で、猫寺と化し、納札入まで、猫の寝床となっていた。

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納経をいただきに、一旦、14番へ戻る。と、その日、顔見知りとなった歩き遍路さんに「あれ、忘れ物?」と声をかけられた。違うのだが、なにせ説明する時間もない。曖昧な笑顔でかわしながら、なんで、こんな余裕がないことに!と思ったが、原因はわかっている。足の豆と建治寺を満喫しすぎたせいだ。

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とにかく、15番札所へ急ぐ。いつ見ても、15番札所の山門はその風格がいい。内部は整理中という感じもあるが、風情がある。いや、しかし、その風情をのんびり楽しんでもいられないのである。写真を撮る余裕もなかった。

 

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 結局、その日最速のスピードで、何とか16番に16時53分に到着し、本堂、大師堂、納経と17時までに済ませることができた。納経が済んだとたん、足の豆の痛みがぶりかえしてきた。明日が思いやられると思いつつ、今夜の宿・鱗楼へ向かった。

鱗楼は、今回が初めてだったが、夕食がとても美味しかった。

5:30 さくらや旅館~7:00 玉が峠

7:00 玉が峠~8:30頃 植村旅館付近

8:30頃植村旅館付近~10:36 別格2番札所

11:14 別格2番札所~12:58 13番奥之院・建治寺

13:30 13番奥之院・建治寺~15:00 阿波国一宮神社・13番札所

15:20 13番札所~15:45 14番札所・14番奥之院

16:10 14番札所~16:20 15番札所

16:30 15番札所~16:53 16番札所

※時間は、写真データからなので、おおよそ。

36km

鱗楼(夕食のみ)6,825円 洗濯100円